酒害体験談

娘との例会回り

発表者 S・K
所属 江東断酒会

 断酒会に入会して今年で八年になります。断酒を続けることによって社会復帰することができ、平穏な生活を取り戻すことが出来ました。仕事も日々悩みながらでは 私には子供が三人います。私は十代で酒を飲み始めました。その頃はウイスキーを飲んでいました。
 主人とは昭和六十一年に結婚をして生活を始めました。その頃は晩酌に付き合う程度でした。そして平成八年頃は二人とも酔っては夫婦喧嘩をするようになり、朝から酒を飲む時もありました。平成十年には離婚をしました。
 これ以上酒を飲んではいけないと思い、自分自身に言い聞かせることもありました。それでも夜になると酒を飲みたくなり、子供達に留守番をさせ一人で飲みに行くこともありました。これではいけないと思い、自分から飲まないよう、あの手この手と努力をしましたが長続きはしませんでした。
 最後の頃は膵臓を悪くし内科病院に三回入退院を繰り返し、保健婦さんに『うらべ医院』を紹介してもらい通院しました。シアナマイドを貰いましたが、ある時シアナマイドを朝飲み、昼食の時お酒を一本飲んでしまい、急に気持ちが悪くなり病院に行き点滴をしたことがありました。それも二回も繰り返して、うらべ先生から入院の話がありました。先生に子供達に説明をしてもらい三ヶ月の入院ならいいと納得してもらいました。
 墨田児童相談所に話をしましたが、担当の方から三ヶ月では普通の生活は出来ない、一年間預かると言われて、子供達に話をしましたが、一年間施設にいるのは「イヤダ」と言われました。先生に相談をしたところ、先生から「断酒会」の話がでました。しばらくは保健所からの見学で例会に参加をしました。
 ある時、江東の先輩から保健所のSさんでなく、江東のSさんと呼ばれた方が責任感を持てますよと言われ、その一声で入会を決めました。平成十四年八月に江東断酒会に入会をしました。
 江東の先輩のKさんから百日例会をするよう勧められ、何が何だか解らないまま末の娘のK子と一緒に例会を回るようになりました。
 その頃K子は小学四年生で、友達と遊ぶことなく私と一緒に例会回りをしてくれました。それも毎日です。土日曜日も一年三六五日毎日です。
 ある日曜日の京王の例会の時、遅くまで寝ていたのでK子を置いて例会に行ったところ、昼過ぎにK子一人で例会場に来たのです。その姿を見てビックリしました。どうして来たのと聞いたら、信用をしていないから、と言われました。まるで私の保護者です。私と一緒の例会回りは一〜二年位続きました。
 夜は例会回り、日中は鬱病がひどく買い物には行くのですが料理は長男に任せ。酒が飲めないのでイライラして子供達にあったてしまうこともありました。
 素面で酔っ払い同様のことをしたこともありました。長女の小学校の卒業式に着ていく洋服が決まらなくて、私の決めた洋服ではイヤだと言って、長女と口論になり、顔を叩く、それも一、二回でなく数回叩く。娘は顔を叩かれるのはイヤだから顔を伏せる、それでも髪の毛を引っ張り顔を叩く。長男と口喧嘩した時も長男から酔っ払いと同じだと言われました。
 話は戻りますが、飲んでいる時に酒を飲みながら料理を作る、後片付けが終わっても、また酒を飲んでいました。子供達には暴言や暴力をふるいました。時間に関係なく電話して相手に迷惑をかけ、相手から「いいかげんにして」と言われたこともあります。
 そんな私がしてはいけないことを子供達にしてしまったのです。それは包丁を持って子供達を追い掛け回したのです。その時子供達はどんなに怖い思いをしたことでしょう。
 とんでもない母親を演じてまいりました。そのほか数え切れない程の罪を重ねてきました。罪の償いは出来ませんが、これからも断酒をして頑張りたいと思います。宜しくお願い致します。