酒害体験談

六年目で思う事

発表者 K・S
所属 港断酒会

 今年もまた登壇出来たことを嬉しく思うと共に皆さんに感謝しています。
 思えば平成十年暮に度重なる飲酒の末、「もうだめだ、何とかしなければ」と思いつつ、この一杯で止めようと酒をグラスに注ぎ一気に流し込む。全身からあの倦怠感がスーと消え去る。どうにでもなれ、という気持ちと自分の理解者は酒しかないと思いまた一杯…。 酔った足どりで家を出る。公園、カプセルホテル等を転々とし、毎日飲み狂う日が続いた。何日かたった頃、家に電話を入れるが誰も出ない、チャンスだと家に帰り、先ず酒を探すが空瓶ばかり。今度は家中のお金のありそうな所からお金をかき集め、着替えをし、私が家に帰ってきた証拠を残さない様に、隅々まで点検してまた家を出る。
 失踪してから二度目の電話を入れると、娘が電話口に出て「お父さん、元気、今どこにいるの、皆が心配しているから帰ってきて…」私は何故か素直に家に足が向いた。家に着くと、あるはずもない酒を探し始めると、娘はその異常な行動を唖然と見ている。妻が急遽職場から戻り、私の職場の上司も家に来て「とにかく病院に行こう、産業医には連絡してある」。私は「病院には行くが、その前に酒を一杯だけ飲ませて下さい」と狂った頭で懇願した。車二台に分乗し産業医に向かう途中、私は車内でも「酒はどうした、飲ませてくれ」と何度となく言ったそうである。やがて車は病院に到着し簡単な問診のあと、深い眠りに入った。
 眼が覚めると、年も変り今自分がどこに居るのか分からない。天井の蛍光灯だけが眩しかったこと、手足を拘束帯で縛られていたことだけは今も記憶しています。その後、成増に転院し三ヶ月のプログラムを終え、退院後港断酒会に入会したものの、約一年後少し位なら大丈夫、今度こそコントロールして飲めばと会から足は遠のき再飲酒が始まり、とうとう白旗を上げ最初の入院時よりひどい状態で二度目の入院となった。入院中、何人かの会員さんと巡り会え、毎日のように見学で例会を回った。行く先々の会場で多くの会員さんから励まされ五月の退院を期に再入会し今日があるが、今思うと入院中の例会回りが基礎になり、会社復帰後の夫婦での例会回りのお陰と妻には感謝しています。例会で「体験談」を話すことは辛いですが、家族にかけた迷惑を思えば、と思い毎日例会に出席しています。
 家族にしてみればたかが六年でしょうが、私にとっては長い六年間だった様な気がします。朝四時半に目覚め会社に行き仕事をし、例会に出て帰宅、食事後風呂に入り寝る、世間では当たり前の毎日が長く続くよう、これからも例会に出席し「一日断酒」を継続してゆきたいと思います。