酒害体験談

妻の憂い顔

発表者 T・H
所属 江戸川断酒会

 きのう、きょうのことを忘れても、二十年、三十年前のことは忘れない。  妻は台所の流し台に両手を突き茫然自失に陥っていた。水道の蛇口からは水が激しい勢いで出ている。足元の床は水浸し、流し台の扉は開いたまま食器やビン等が床に散乱している。妻は気を取り直し、散乱した食器類の後片付けを始めた。と再び、空になったウイスキーのボトルが妻の足元に転がっていく…。妻には踏んだり蹴ったりの状態だった。
 そんな妻の仕草を見た俺は、「そのままにしておけよ!まだ掃除の途中だから…」と、叫んだ。俺自身もよくわからないが、口にするのもおぞましい己の失禁を隠すための口実だったのです。
 妻はそんな俺を無視して奇妙な行動にでた。何のためらいも無く、俺の目前にスチールアイロン台とスチームアイロンを置いた。なおかつ掃除機を取り出し、ドライヤーまで用意した。やがて用意された電化製品が一斉に動き出した。スチームアイロンから噴出す蒸気が俺の方に向けられ、掃除機の蛇腹ホースが俺の足元で踊りだす。ドライヤーは畳に置かれ、俺の股間に向けて熱風を吹き付ける。
 あの頃の妻にどんな思いがよぎっていたのか…。何かを紛らわさずにはいられないことがあって当然だ。
 脱サラから自営業者となった一九七○年の後半、妻はなりふりかまわず家事と仕事に励んでくれた。俺は妻に甘え過ぎていた。朝、昼、晩に酒を飲み、一日中酒気帯び状態で仕事をしていた。当然の報いにもかかわらず、当の俺に自覚が無かった。毎日、返品された不良品の山を眺めては酒を飲み続けた。挙句の果ては廃業を余儀なくされた。
 こうした絶望的な状況でも妻は俺に叫ぶように言った。「信頼し合って、助け合って、お互いゼロからスタートすればいいじゃない。お酒は止めるのよ!」。俺は悪たれ口をたたいた。「ゼロからスタートできるわけねぇーだろー!ゼロからは何が生まれるんだ!」と。その時、妻は何も言い返さずに、愁いを帯びた瞳で俺の顔を見つめた。過去にどんな悲哀にも俺の前では涙を見せなかった妻が…。
 数日を経て、妻と家を出ていた娘・浪人中の息子の三人が俺の前に揃って正座した。数年ぶりのことに俺は動揺したが、妻は何のためらいも無く、何の前置きも無く話し始めた。 「明日、引越しをします。お父さんの荷物は自分の車に乗せてください。私たちのは運送業者のトラックに乗せます。引越し先までは私たちのトラックが先導します。荷物運びは業者に任せていますからお父さんは何もしなくていいです」。 普段無口な妻が強い口調で一気に話したのです。子供たちは何も言わずにうつむいていました。 翌日、引越しが始まり目的地に着いた。その場所は今まで住んでいたところから車で十五分位の近いところでした。建物は小さな二階建てのアパートです。部屋の広さは2DKです。妻は業者の二人に指示を与え、子供たちを連れて鉄製の階段を上がっていった。俺が後から行き部屋に入ろうとすると、娘が「お父さんの荷物は車から降ろさなくていいわよ!どうせ置く場所が無いから!私は郵便受けの名札に書いたら帰ります」。すかさず妻が、「お父さんは車を売って、そのお金で他に部屋を借りてください」。あまりにも唐突な言葉に俺は言葉を返せなかった。
 結局、俺は来た道を引き返し、空き家になった元の家に入り込み酒をあおる。いつしか俺は畳に大の字になり寝入ってしまった。時間は不明だが、人の叫ぶ声で目を覚ました。薄暗くて初めはよく分からなかったが、妻が窓越しに叫んでいた。
 「お父さん見っともないでしょ!近所の人が知らせてくれたのよ!死んでるんじゃないかって!早くどこか遠くに行ってよ!」。
 俺はよろめきながら車に乗り込み、近くの公園に行き車中泊を余儀なくされた。このことがあって、俺は家族から完全に見捨てられることになったのです。
 二十年前の窓越しに見た「妻の憂い顔」は忘れない。