酒害体験談

断酒三十年をふりかえって

発表者 M・M
所属 新宿断酒会

 月日のたつのは早いもので、お陰様で断酒三十年を迎えることが出来ました。四十四歳の入会で七十四歳になり、よく生きてこられたと感無量です。
 入会三年に胃潰瘍で胃の三分の二を切除しました。手術も成功し二十七年も長生きしています。
 入会時は飲酒欲求が強く三日断酒するのがやっとでした。数人の先輩に何年やめていますかと聞くと、「三年やめている」「五年やめている」と言うので、びっくりしたことを記憶しています。
 私は通院や入院暦がありません。医者から「あなたはアルコール依存症」と宣告されていないこともあって、例会で「とらばこに入れられた」とか「酒乱だった」とか体験談を聞くたびに自分はあの人よりは、ましだと考えていました。しかし、入会三年目ぐらいから自分も同じように家族に迷惑をかけていたのだと気付くようになってきました。それ以後自分も体験談を話すようになってきてから例会通いも楽しくなり、断酒も軌道に乗ってきたように思います。
 今から思うと入会二年ぐらいまでは、自分と他の人の違いばかりに目を向けていたように思います。三年目ぐらいから形は違っていても同じように家族に迷惑をかけたのだと気付きました。
 家族も例会通いに協力してくれました。家内が毎月のカレンダーに印しを付け、朝、出勤する時に「今日は○○例会だよ」と念を押してくれました。仕事の都合で遅刻することもありましたが、一緒に例会通いをしました。入会時、中学生の娘と小学生の息子がいましたが、二人の子供のために例会に行く前に夜食の用意をして例会に出席しました。子供は留守番で寂しい思いをさせました。
 断酒三十年を振り返ってみると波がありました。「今日は蒸し暑い」「寒さが厳しいから」「体調が悪いから」とかで例会通いの足が鈍ることもありました。印象に残っているのは練馬の第一例会(当時は石神井)で大雨と強風で傘が吹き飛ばされそうになり、ズボンはずぶ濡れ、靴の中はびしゃびしゃで、やっとのことで会場にたどり着きました。
 また、江東の第一例会(当時は門前仲町)の時は台風で会場の入口まで雨水が溢れ、長靴の中までびしょびしょでした。洗面所で裸足になって長靴に入った雨水を流したことは、今から思うと良い思い出です。こんな悪天候の中でも自分は来たのだという自己満足もありました。
 話が前後しますが飲んでいた頃は赤提灯専門で、今日は徳利二本ぐらいでやめようと思ってもやめられず二軒、三軒とはしごになってしまい、帰宅が朝の五時頃になることが多々ありました。私は飲むと眠ることが多く、乗り換えの駅を間違えることがよくありました。自宅が高田馬場なのに気が付くと小田原だったり熱海だったり脳がやられていたのです。一方、家内は私がいつ帰ってくるか不安で熟睡出来ない状態が続き被害を受けました。
 再び入会時の頃を振り返ってみることにします。家内が保健所の紹介で断酒会があることを知りました。当時の新宿のN会長の自宅へ家内と行き、いろいろと断酒についての話を聞きました。Nさんは製薬会社の社長をしておられ温厚な人でした。Nさんから職業のことを聞かれ「川崎の小学校の教員をしています」と答えると、「警察官と学校の先生は断酒するのは難しいね」と言われたことを思い出します。その帰り道、家内は「断酒するのは難しいと言われたけど、断酒して幸せになって欲しいという願いを持って話されたのよ」と励ましてくれました。
 現在、七十過ぎてだいぶ足腰が弱くなってきましたが歩けるうちは例会通いを続けるつもりです。また償いは例会通いと家事の協力と考えています。断酒継続は本人の努力は勿論ですが、断酒会の皆さんや家族のお陰でここまで生きてこられたことに感謝いたします。