酒害体験談

乾燥酒精中毒者楽団

発表者 ∪・K
所属 品川断酒会

お久しぶりでございます。一年ぶりの投稿になります。新年一月の本部例会で、念願の断酒三周年を 会長はじめ会場一杯の皆様に祝って頂きました。ありがとうございます。あっという間に時間は過ぎて いく、とよく言われていますが、本当にその通りだと実感致しております。
 丁度十年前になります。一人暮らしの母親が高齢になって、いろいろ日常生活に支障をきたしてきた のと、二人の子供(当時、上の男の子が中学校卒業、下の女の子が小学校卒業)の進学ということもあ り、現在の住まいに引っ越してきました。文京区の白山に住んでいた頃から体の不調は感じていました 。 「アルコールが原因の慢性肝炎ですね。このまま飲み続けると、肝硬変、肝臓ガンとどんどん悪くなっ ていきますよ!」と、内科医から指摘は受けていました。先生の言うことはよく分かっていましたが、 酒は止められませんでした。酔っぱらって暴れる訳ではなく、二日酔いは毎日でしたが仕事を休むこと もなかったので、自分のことをただの大酒飲みだと思っていました。
 品川に移転してからは、前の病院とも縁遠くなったので飲み続けました。その年の確定申告で細かい 数字を書き込むのに、あまりにも手が震えるので怖くなり、昭和医大付属病院で診てもらい肝硬変と診 断されました。その時から何ヶ月かは一人断酒をしていました。やっぱりダメでした。暑い夏でした、 仕事帰りに「新発売です、いかがですか?」と、可愛いキャンペーンガールにいただいた百ccのビー ルのチビ缶をグッと飲み干したのがきっかけで、そのままコンビニに飛び込み、また始まってしまいま した。それから数年間は、かくれ酒、ぬすみ酒の生活でした。三年前、島根県の出張が最後のトドメで した。家族の目がないことをいいことに、飲みたいだけ飲んで、体も頭もヘロヘロになって帰京し、池 袋の榎本クリニックに繋がりました。
 断酒会に入会させて頂き例会に参加していると、品川の近藤さんがエレキギターをかついできました 。その時私はハーモニカを一本ポケットに入れていたので、音を合わせるとピタッとブルースになりま した。クリニックの繋がりで、ベースマンが品川の会員さんでもう一人音楽好きな人がいて、バンドを しようよと、アレヨ、アレヨという間に「ドライ・ドランカーズ」が誕生しました。あれをやりたい、 これを唄ったことがある、こんなふうに演奏しようぜと、おじさん達がワイワイやっています。月に二 回ほどスタジオを借りて練習しています。家では大きな音を出すと、「うるさいわね、ヘタクソ!」と 家族から叱られるおじさん達ですが、忘年会での演奏も三回目となり、あちこちの例会で「上手くなっ たね」と褒められれば、さて来年はどうしようなどとメンバーみんなでまた練習に熱が入ります。
 入会するまでは何の関係もなく、それぞれの人生を歩んできたメンバーですが、アルコール依存症の 音楽好きということで新しいことを始めました。私はこの活動をバンド例会と呼ぼうと思います。学生 の頃に憧れたステージの上で皆様の前で演奏するために、一年かけて新曲を覚え、忘れてしまったギタ ーのコードを思い出していく。それが私達にとっての回復だと信じています。