酒害体験談

断酒十年目で見えてきたもの

発表者 T・M
所属 港断酒会

 小学生時代…私は酒が飲めタバコが吸える大人にひたすら憧れていた。小学一年の正月、雑煮のもちを一個食べきれなかったのに、お神酒だけには特別な執着をみせた。お神酒にはおかわりなどありえないのに三度もおかわりをしてしまった。突然、長男から怒鳴られ、神聖な元旦の儀式をブチコワシテしまった。 しかしそれにも懲りず客用のドブロクを盗んで飲んだりした。本当に美味しかった。
 中学時代…ひ弱で無気力なくせに、ただひたすら酒を飲めタバコを吸える大人に憧れ、それだけを楽しみに過ごした。だから、高校にも進学したくなかった。
 高校時代…やっと目覚め猛烈に勉強した。酒もタバコも一切忘れた。
 大学時代…親元から離れた喜びと一人前になったような錯覚で入学当日、下宿で仲間と酒盛りしトイレで寝てしまっていた。全く覚えていない。初めてのブラックアウトだった。
 大学時代は仕送りなしの貧乏生活だったのでなかなか酒にありつけなかったが、今になり、異常な飲み方だったなと思い出すことが二つある。一回目は徹夜した後、眠るため、ポケットウイスキーをいっきに飲み干した時の壮快さであった。二回目は研修会で神戸に行った時、もらったウイスキーの大瓶『だるま』を広島駅に着いていた時は、もう飲んでしまっており、物足りなさを感じたことである。
 就職…なんと、無気力で酒にだけ憧れていた少年時代には予想もできなかった教員になれた。先輩にも可愛がってもらい、居酒屋でおごってもらう酒は人生の至福の時だった。第一年目の職員旅行の時、夜の宴会の後、したたかに飲み、父親の怨みを言いながら旅館の二階の屋根から吐き散らし、大迷惑をかけたそうだ。全く覚えていない。人生二度目のブラックアウトだった。
 働き盛りの四十代から五十代…保護者と学校側のトラブルをひたすら宴会の力で解決し、家庭は放棄して仕事だけに突き進んだ。いつの間にか、あんなに嫌いだった晩酌を始めていた。(暴力的に家庭を緊張させていた父親が嫌いだったので、酒には憧れても晩酌のムードはとてもいやな思い出であった)そしてその晩酌がもうどうにも止められない状態になっていた。すでに、アルコールをコントロールできない依存症に踏み込んでいたのである。五十代に入ってからは、宴会の後、ブラックアウトになる間隔が縮まってきた。しかも晩酌の時、妻に何かと文句をつけるようになっていた。その辛さはとても酷かったようで、断酒十年たった今でも、妻は当時のこと語ってくれない。思い出すのも嫌だと言う。
 五十代前半の挫折…過労からうつ病発症。入院中、医者よりアルコール依存症が発見され、断酒を宣告される。身体的に何の異常も無いのに「なぜ断酒か?」医者とケンカしながら・怨みながら、ひとまず納得はしないまま断酒することにした。
 五十三歳断酒開始…東京断酒新生会の港断酒会にお世話になることにした。一・二年目は飲酒欲求が強く、水をがぶ飲みして過ごした。ただひたすらガマンした。そうしているうちに(これはやはりおかしい…普通じゃない)とやっと感じ始めた。
 六十三歳十段目の表彰状を頂いて…やっと幼年期からの自分の真の姿が見え始めてきた。私はやはり幼少の頃からアル中になる素質を充分持っていたのである。このように気付くのに断酒十年もかかったことになる。十年前のお医者様にはアルコール依存症を早く発見して頂き、今は感謝で一杯である。
 アルコールは決して一人では止められない。飲めば必ず進行する。そして苦難と挫折しかない。断酒会に教えられたことは本当に幸せになる道でした。今は、家庭では本音の会話ができ『普通の家庭』への回復に向かっていると思います。励まして頂いた断酒会の皆様、本当に有り難うございました。これからも、危険な時もあると思いますが、断酒会に『まじめに繋がっていれば』大丈夫だと思います。今後とも、宜しくお願いします。