酒害体験談

あの時のあの時間あの場所に天使が舞い降りた・・

発表者 S・N
所属 新宿断酒会・家族

 その頃私は四十代の半ばでした。四十代といえば平均年齢まで生きるとしても、まだ四十年近く生きなくてはならない。人生の折り返し地点、このままこの夫と一緒に生きていけるのか。何の希望も無い幸せなど望むことも出来ない、死んだように生きるだけ。そんな真っ暗な気持ちでいました。
 夫の飲酒時代の行動をある友人に話しました。その人からSさんの旦那さんはアル中じゃないんですかと言われた。ハッキリ言って失礼な人と思った。夫はちゃんと働いてもいるし酒びたりという訳でもない。いつもいつも飲んだくれている訳ではない。それをアル中だなんて冗談でも言ってもらいたくない。このアル中という言葉は私の胸にトゲのように残っていた。
 しかし、その友人はいいかげんな人ではありません。その人が言うのだから何かあるはずだと思い直しました。そして私はアル中という物を全然分かっていなかったということがインターネットで調べてみて分かったのです。アル中のことを知っていると思い込んでいましたが、本当には知っていなかったのです。アルコール依存症という言葉さえ知らなかったのです。今ではそれを気付かせるきっかけを作ってくれた友人に感謝しています。
 アルコール依存症を知ってから、県の精神保健センターの電話相談に電話してみたことがあります。夫の母が亡くなってから酒量が急に増え、性格も怒りっぽくなり些細なことにでも怒鳴り散らすようになっていました。母が亡くなって抑えてくれる人がいなくなったので、夫の元々の性格が出てきたものと考えていましたが、これはもしかしてお酒のせいではないだろうかと。 小学六年の長女が何気なく「お父さん、今日はもうお酒飲むのをやめたら?」と言ったことがありました。すると小六の娘を貴様呼ばわりして怒鳴りつけました。子供の分際で親の飲み食いを差配するようなことを言う、これは女親が言わせている。お前がいつも俺の酒の文句を子供に言うから子供がこんな生意気なことを言うようになるんだ、親に対する尊敬がない、お前のしつけがなってないんだ、俺をバカにしている。テーブルを拳骨で叩いて威嚇し、かなり長時間子供と二人怒鳴られ続けられました。謝っても無駄。子供はずっと下を向いて涙をポロポロこぼして泣いている。それまでは私を怒鳴りつけても子供にはそういうことはなかった。小学六年の女の子を一時間近くも怒鳴り続けるほど、この子は悪いことを言ったのだろうか?今起こっていることは普通のことなのだろうか?私は訳がわからなくなっていたのです。
 そんな話をして私の不安な気持ちを保健婦さんに聞いてもらいました。保健婦さんは私の話を聴いてから私に質問をしました。「ご主人は朝から飲んでいるのですか?飲んで仕事を休んだことはありますか?お給料はちゃんと入れていますか?暴力を振るったことはありますか?」。どれもありませんと答えました。「では何が問題なのですか?ここに相談に見えられる方は、どなたもお酒のせいで仕事もクビになり生活もままならず、それでも朝から飲んでいるような人ばかりですよ。貴方のご主人に何の問題があるのですか?」。その言葉を聞いた時、私は自分がとても恥ずかしい気持ちになりました。良い御主人じゃないですか、何の文句があるんです、我儘な人ですねと言われた気がしたのです。
 夫に電話を代わる。「私は部下を何人も使い責任のある仕事をしていますし、アル中だなんてことはありません、女房の心配しすぎです」。「奥さんはおいくつですか?もしかしたら、更年期障害で気がうつうつしたり落ち込んでいるのかもしれませんね。旦那さんより奥さんの方が心配ですね、内科的なことが心配ですね。奥さんも心配しているようですから、奥さんを安心させるためにもあまり飲み過ぎないように、体に気を付けて下さい」。私はそれを聞いて、私の心配のし過ぎかもしれない、姑が亡くなる前から介護のことなどで主人の姉ともイザコザがあり、心に余裕もなく何につけても悲観的に見ていたのかもしれない、夫の酒の飲み方は心配するほどのことではなかったのだ、飲み過ぎなければいいんだ、もっと楽観的にいこうと思いました。
 それに主人の母や義姉の言っていた言葉が私を押さえつけていました。男が稼いできてくれる以上、女は文句を言ってはいけない。どんなことを言われようとも我慢するのが常識だ。好きな酒を取り上げてどうするんだ、女だったら上手に飲ませて機嫌をとって働いて貰わなくてはいけない。大体おまえは男の扱いが下手だから怒鳴られたりするんだ。もっとおだてて男の機嫌をとれ、家で飲まさなくなったら外へ行くだけだ、外には酒には女がついているんだ、よその女に男も金も取られる様になるぞ、飲む打つ買う、男は何かしらクセがあるものだ、酒くらい何だ、一番ましじゃないか。そう言われていました。
 インターネットの掲示板で相談したこともありました。「行政ってのは、もう本当にどうにもならなくなってからでないと助けてくれないもんなんだよ。そうなるまで待っててどうするの、酒飲みながら子供を一時間も怒鳴り続けるなんて、病気でなくて何なの?このままじゃ、子供がおかしくなっていくよ、早く病院に行った方が良い」キッパリ言ってくれた人がいました。顔も知らないどこの誰ともわからない人の言葉でしたが私の心に深く残りました。
 主人は当り前なのか、おかしいのか、私が我儘なのか、我慢が足りないのか、分からないままに一年を過ごしていました。そして、その日、主人と私は埼玉の私の父と昼食を一緒に食べました。中華料理屋さんで、何タラ言う中国のお酒をお父さんにと言って何回も注文して、殆ど自分で飲んですっかり出来上がってしまっていましたが、主人はその時まではご機嫌でした。お会計は主人に任せて私と父は先に外に出ていました。すると、誰かが怒鳴っている声が聞こえ、次ぎにガラスが割れる音がしました。桶川もガラが悪くなったねえと父に話しかけました。いやねえ、ヤクザか何かしらねえ。でも実はそれは自分の主人だったのです。ガラスのカウンターを拳固で叩いて割ったので主人の手も血が出ていました。会計の時の店員さんの態度が気に入らないとのことでした。確かに店員さんの対応は悪かったかもしれませんが、だからといって大声で怒鳴ったりガラスを割ったりしてもいいはずがありません。騒ぎの張本人が自分の主人だということの驚きの次ぎに私が思ったのは早くこの場を立ち去ることでした。騒ぎを大きくしてはいけない。警察を呼ばれてはいけない。何でもないことの様によくあることの様に振舞おう。主人は私にどんなに店員の態度が悪かったか、だから自分が怒るのは当然なのだと言うこと、そしてガラスが割れたのはガラスが薄かったせいで自分のせいではない、自分はそんなに力を入れて叩いた訳ではない、などと勝手なことを言いました。本来なら店の人に店の物を壊したことを詫びなけらばいけない所なのですが、そんなことは出来ません。私が敵の見方に付いたと主人は益々怒り出すでしょう。騒ぎを大きくすることになるのです。そうですか。よく分かりました。それではこんな店早く支払いを済ませて行きましょう。私は店員さんが警察に通報しようという考えが浮かぶ前に立ち去りたかったのです。が、店員さんはすっかり脅えていました。本物のヤクザと思われたかもしれません。因縁つけられて逆にお金を脅し取られないですんで良かったと思っていたのかもしれません。それで、何ごとも無かった様に立ち去ることが出来ました。何ということだろう、これからもきっとこの様なことが起きる様になるのだろう。今までは家族が自分の言うとおりにならないと怒鳴ったりテーブルを叩いたりして脅してきた。これからはそれが家族だけに留まらず誰にでもどこでも起きる様になるのだろう。こんなことでは会社の人間関係も壊すだろう、近い将来会社もクビになるかもしれない。板を転がり落ちる様にどん底まで行くだろう。何があってもうろたえない様に覚悟はしておこう。そんな暗い気持ちで一杯になりました。
 そして、奈落の底に落ちて行く様な不安な気持ちの中で、病院に行こう。分からないのだから病院に行こう。保健婦さんと同じことを言われるかもしれない。それでもいい。とにかく行こう、診断は医者がするものだ。という気持ちになりました。主人は自分が少しやり過ぎたかもしれないと落ち込んでいました。そんな時がチャンスでした。私は病院に行く様に頼み込みました。主人は承知してくれました。勿論、保健婦さんの時の様に私の方がおかしいのだと証明するため、自分の酒の飲み方はごく普通なのだと証明するためです。目的は違えど意見は一致したのです。インターネットで相談した人から、病院はアルコール専門外来のある精神病院でなければならないと聞いていて以前調べてありました。ついにその病院に行く時がきたのです。そして主人はアルコール依存症と診断されました。「Sさんの場合はあと何年かは飲んでも大丈夫かもしれませんが、その時にはお金も仕事も家族も全て失している可能性が高いですね。それからにしますか?今やめますか?今やめた方が得ですよ、行き着く先はもう決まっていますから」。「得ですよ」この言葉が主人の心の鐘を鳴らしました。何しろ主人の生きてきた目的は貧乏からの脱出です。損をすることなんて受け入れられるはずがありません。この先生との出会いは本当に幸運でした。主人はかつて一度も口喧嘩に負けたことがありません。負けそうになると大きな声で脅します。そして口汚く罵り動揺させて言い負かしてしまいます。ですが先生は静かな口調で厳しく現実を突きつけ主人の言い逃れを明らかにしていきました。主人が負けたのです。主人は断酒を決意しました。以来飲んでいません。立派なことです。
 もう一度言いますが本当に幸運でした。もし病院に行くのが一年早かったら、主人はまだ断酒を決意する気持ちにはなれなかったでしょう。何年か後にもうどうしようもなくなって無理やり家族に連れられて来たとしてもダメだったと思います。あの時のあの場所あの場所に天使が舞い降りたかの様な幸運でした。
 断酒が始まってからも家族の「我慢」は続きましたが、断酒前の我慢とは意味が違います。断酒前の我慢は必要のない我慢でした。毎日が真っ暗で何の希望も見えない我慢でした。我慢すればするほど状況は悪くなっていました。あのまま飲み続けていたらどうなっていたでしょう?おかしいと思いつつも私が我慢し続けていたら。断酒後の我慢には希望があります。我慢の先に明るい未来を信じることが出来るのです。実りのある我慢でした。今では、貴様呼ばわりされることも少なくなり穏やかな日々を過ごさせてもらっています。