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(第1日曜日 13:00〜16:00)
「女のくせしてアル中になりやがって、恥ずかしいと思えよ!」と言われた時の屈辱は今でも忘れない。しかも、相手は同じアルコール専門病院に入院する男性患者からだった。「病気に男も女もないだろう」という悔しさがこみあげてきたが、余りにもストレートな一撃に返す言葉を失った。以前なら、その何倍もの言葉の棘で相手を罵倒したに違いない。しかし、3ヶ月目を越えた入院生活が、飲酒によって調整が効かなくなっていた感情のコントロールを多少なりとも改善した様で、醒めた頭でこの言葉を反芻した。
一般的な「酒好き」などという生易しい言葉の域を超えて、飲むために生きているのか、生きるために飲むのか判別できなくなってしまった生活。「今ならまだ間に合う。」行く先の見えない明日に対する危機感と飲酒欲求を戦わせながら、長い夜を耐え忍ぼうとした。
しかし、しらふの晩は遅々として進まず、時を刻む秒針の音が無情に響く。次第に禁断症状であろう、捉えどころのない不安感押し寄せてきて私は目に見えない何物かに怯えた。それを払拭するためにいつもの「酔い」を求め結局、その夜も一人でグラスを傾けてしまうのであった。瞬時に、アルコールが体内を駆け巡り、酔いと共に束の間の安堵感が私を包み込んでくれる。そんな底なしの孤独な夜を一体幾晩過ごしたであろうか。酔いによって得られた浅い眠りから醒めた時、鏡に映る自分を見て、「どこから自分の人生は狂ったのだろう」と自問し涙が溢れ出る。
私は、ごく一般的な家庭の一人娘として、これといった不自由や苦労もなしに育てられてきた。一人っ子であるが故に、自然と家の中心的存在となり、労せずとも親の愛情や関心を独占してきた。「できる限り陽の当たる道」を歩かせたいという気持ちは親であれば当然のことであり、「過保護」という非難に値するものではなかった筈だ。しかし、そんな過不足のない恵まれた環境が当たり前になっていた私は、「社会」に歩みだして程なく、現実の壁に直面し戸惑った。いつでも自分が「一番」でなければ気が済まぬ勝気さは、子供だからこそ許される特権であり、大人の社会では自己中心的で協調性のない人物として評価された。協調性のない人物として評価された。単調で同じ事を繰り返すだけの毎日。自らを省みず、他人ばかりを批判するうちに、人間関係の溝は深くなる一方で、お酒だけが私の味方の様に思われた。心の葛藤や不満の捌け口として、お酒の力は絶大なものであり、私にはこの抱擁力ある友人さえ側にいてくれれば、十分だとさえ思っていた。
人と違ってお酒は裏切らず、一生の友となる筈だったお酒までもが、次第に私に背を向ける様になるとは、思いもよらなかった。記憶障害や幻覚幻聴といった症状は隠し覆せぬ程に酷くなり、必死にしがみついていた「社会」からの脱落も、カウントダウンの状態に入っていた。そして、最終的には―精神病院への入院―、この方法をもってでしか、我家の崩壊を食い止めることはできなかった。
退院直後は、「社会からの落伍者」という烙印を背負い、お酒なしで生きていくことへの絶望感・虚無感で、将来への活路が全く見出せずにいた。
そんな時、最後の綱として辿り着いた「断酒会」で、私は改めて命の尊さを知り、自分が生かされたことへの感謝の気持ちが芽生えた様に思う。
かっては同じようにお酒に苦しみ、死の淵まで彷徨った先輩方が、お酒を断つことによって、溌剌と生きておられ、現在の自分を堂々と語る姿に、希望の光を見た思いだった。入会したての頃は、体験談を語り、悔い改める事で、お酒漬けの悪夢の数年間を自分の人生から消し去ってしまいたかったが、あの辛い経験があったからこそ、今の自分があり、気付き得たものの価値を認められるようになった。
「断酒会」という輪の中で、「人との和」とは、思いやりや尊重の気持ちの上に成り立つものであることを学んだ。かつては、不協和音をきしませるばかりの人間関係に苦しんでいたが、今は人の中にいるからこそ、喜怒哀楽も生まれ、生活に豊かな彩りがもたらされるのだと思える様になった。そして、この病になった以上は、ある一線を越えての領域では生きられないことを改めて痛感するに至った。魚には海水魚と淡水魚がある様に、私は二度とお酒の海に戻って泳ぐことはできない。しかし、以前よりも今の方が楽に泳げるのも事実だ。ならば「あちらの水が美味しかった」とため息をつくのではなく、現在、身をおくこの場所で、より楽しく生き活きと泳ぎ回れる様に志していきたい。
飲んでいた頃の自分を消去したり、最盛期にリセットすることはできない。しかし、その替わりに、お酒を止めたからこそ実感できる喜びを享受し、止め甲斐のある生き方を希求していくことの可能性が与えられたのだ。
私にとって断酒会とは、酔いから解放された心の眼で、過去の自分を見つめ直しつつ、現在の足元や方向性を確認する上で、必要不可欠なものになっている。そして、更にこれから生きていく道を、自分自身に見合っただけの歩幅で歩んでいきたいと思う。「アルコール依存症」という病に負けず、そして甘えることなく、誇りある生き方を実践するために、今後例会出席を継続して行きたい。
『かがり火』2010年3月1日号より転載