酒害体験談

「私が高知に帰る理由」

発表者 K・T
所属 (東京)

初めて投稿させて頂きます。父・松村春繁と母・文子が断酒会にご縁があったことや先日逝去された 下司高麿先生に大変お世話になったこともあり、今月七月三十一日に開催されたサマースクールに出 席させていただきました。皆さんの真摯な発表に聴きいってしまいました。
 私は高知出身ですが、大学から現在に至るまで東京で暮らしております。母が小学校の教員だった 影響を受けて私も中学校の教員になりました。故郷には両親の墓参りで帰省します。二十年ほど前は 帰省する年もあればしない年もありました。でも現在は二回帰省して吾岡山にある両親の墓参りをし ています。なぜそうなったのか、理由をお話したいと思います。
 二十年前のある土曜日、期末試験前だったので印刷室で試験問題を刷っていました。しかし突然、 肩が立っていられないほど重たくなり、その場にしゃがみ込んでしまいました。その時、印刷室に入 って来たA先生から「松村さん、信じなくてもいいけど、あなたの背中に人の姿が見えるの。私の母 は伊勢神宮に縁があって、あなたのような人をお助けすることが出来ると思うので家まで来ませんか 」と声をかけられました。昼食の出前のラーメンも食べられないぐらい苦しかった私は藁にもすがる 思いでA先生宅に向かいました。幸い母上は御在宅で(細かい経緯は省略しますが)、お祈りの結果 分かったことは「眼鏡をかけた白髪の人が怒っていて、理由は年二回墓参りに行くと言っていたのに サッパリ来ないから」というのです。これは父だと直感しました。「ははーッ、すいませんでした。 これからは必ず年二回行きます」とその場で神棚に向かって平謝り。しかし、A先生の母上から「松 村さん、二回とか数字は言わないほうがいいわよ。守れないとまた怒って出て来られますよ!」のダ メ押しをいただく始末。
 それからです、夏と冬の年二回高知に帰り、両親の墓参りをするようになったのは。近年は夏には 見晴らしの良い吾岡山にある墓前で二人の好物であったお赤飯(母)とリュウキュウのヌタ(父)を 食し、冬は年末に日曜市で買い求めたミニ門松を供えます。
 両親の死後も断酒会の方々が折りに触れて墓参りに来てくださいます。この場を借りて御礼申し上 げます。墓参りに行くと美しいお花が両親の墓に添えてある時もあり、感謝の気持ちで一杯です。お 名刺をいただいた方にはお便りを差し上げていますが、今後はサマースクールなどでお目にかかる機 会があればと願っております。会員の皆さまのご健勝をお祈り申し上げます。