酒害体験談

「感謝」

発表者 A・M
所属 新宿断酒会

 十月の本部例会で初段のお免状を頂きました。昨年新人紹介で上がった時に、一年後再びこの場に上がれて いるのだろうかと思った記憶を思い出しながら、西田会長から頂きました。あの何秒かの間、家族全員が私を 見て拍手をしてくれているような気がしました。入会して本当に良かったなぁとしみじみ実感しました。
 そもそも私の人生は、物心ついた時から底辺のどん族でした。嫌いなことがあると酒に逃げ働かない酒乱の 父。美容師として家計を支える母。その両親の元に生まれ、夫婦喧嘩が絶えない日常。六歳で妹が生まれ、ま たその二年後妹が生まれ、いつしか私は我慢することが得意でいつもニコニコ、しっかり者。といった言葉が ぴったりの人格になっていってしまいました。
 「母と妹は私が守る」と自分に言い聞かせて、早く大人になって働き、父を捨て、全員を連れてこの家を出 ることばかり考えていたような気がします。その頃住んでいた場所が大嫌いなせいもありました。両親は二度 離婚をして、二度復縁しました。一度目の離婚で、もともと横浜の根岸に居ましたが、私は父に連れられスラ ム街とも呼ばれている寿町という町に住み始めました。酔っぱらいがそこら中に寝っ転がっている町です。全 ての人がそうではなかったと思いますが、七歳の頃の私の目にはそうとしか映りませんでした。父は相変わら ず働かず、私のことが心配になった母は仕方なく復縁し戻ってきてくれました。小学校の時には友達にいじめ られ、生活保護受給して生活していることを親戚にはなじられ、常に肩身の狭い思いをして生活してきたので した。
初めてお酒を口にしたのは十六歳のお正月、高校一年でした。父が「もう高校生だから正月ぐらいいいだろ う」。そんなきっかけからたまに飲むようになり、父は行きつけのスナックから私を呼ぶようになりました。 カラオケが出始めたばかりで、歌がとても上手だった父は行く度に私を呼び私も歌わせ、この頃からお酒を飲 みながら歌うことが大好きになりました。
高校を卒業し入社した職場でも仕事が終わると誘い合い終始飲み会がありました。新入社員は特に良く声が かかり、いつの間にか「みっちゃんは酒が強い」と評判になりました。本当に良く飲みました。入社して少し して私は会社の借り上げ単身社宅に入っていたのをいいことに、朝までコースは日住茶飯事。これまでの苦し かった生活がウソのように楽しい毎日でした。たまに二日酔いで仕事を休むことがありましたが、誰もがある ことと悪いとも思いませんでした。そして入社二年目に結婚退職。幸せな結婚をしたはずでした。けれども今 までの生活とは一変し、姑との同居に馴染めず、また朝と深夜三十分しか家に居ない主人との新生活。もとも と我慢が得意だった私にはまた違った形で我慢する生活が始まり、けれども私さえ我慢すれば何とかなると思 っていました。今思うと、ここからアルコール依存症の始まりだったのでしょう。夫や姑との生活の我慢は外 見の言い訳で、本当は子供の頃に受けた様々な我慢が辛かった、苦しかったと、その度吐き出せる場所があっ たらこの病に罹ることは無かったかもしれません。表向きはしっかりした良い子、でも実際はそうじゃなかっ た裏の部分のある子。私だけしか知らない私。それを一時的にでも忘れたいために飲む行為を止めなかった私 。そんな私でもこの断酒会は受け入れ、見守り、導いて下さいました。私は今、日数は少ないですが、日程を 決め楽しみにして通っています。皆さんの後ろについてこれからも一日断酒継続していきますので宜しくお願 いします。
最後になりましたが、私の大切な家族に心から感謝し、また会員のご家族の方々にも感謝の気持ちで一杯で す。有難うございます。そして、これからも宜しくお願いします。